スカトロジーから学ぶこと
2008.11.28 12:12 ニジェール Niger

◆ 集団シッコはこのようなところで行われる(イメージ)
ボロロの美男子に会いに行くぞツアーを続き物で書いていますが、前回の記事からちょっと脱線気味。今日もちょっと脱線してるかな? でも少しニジェールに戻ってきました。本日の「アフリカいぼ痔紀行ニジェール編」も、前回の続きだよ!
注意 : この記事の内容に不快感を覚えるおともらちもいると思います。タイトルでひいてしまった人は、これ以上読み進めないでね!
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「アフリカいぼ痔紀行」ってなにっていうおともらちは、暇だったら以下を読んでくださいね!
◆ 名誉領事館
◆ あたしがマラリアにかかったら…
◆ あたしの秘密、暴露します!
◆ お喋りなパリの夜
◆ お洒落すぎ!
◆モロッコ本編
◆ベナン本編
◆ニジェール本編
◆番外編「世界の看板」
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あたしは前回の記事で、ニーハオトイレの羞恥心は、音にあると結論づけた。排泄行為そのものに、絶対的な羞恥心が付きまとうのは当然のことだが、これは他者の目前で用を足さなくてはならない場合、どのケースにも当てはまる羞恥心であり、別にニーハオトイレ特有のものではない。
日本には銭湯や温泉など、同姓限定だが人前で裸になる習慣がある。その為、我々日本人は、他の文化圏に属している人々に比べれば、同姓限定の囲われた空間で素肌をさらけ出すことに、比較的慣れ親しんでいると言える。
だから、日本人にとって、ニーハオトイレの羞恥心は、人前でおケツを出す行為というより、その音にあるのではないかと言うのがあたしの持論である。この考えが、万人に受け入れられるとは思わないが、少なからず、あたしは個人的にそう考えている。
特に日本の婦女子の間では、音消しという因習がある。思春期の女子高生は、トイレの音に敏感であり、そんな多感な青春時代をすごして大人になった日本の婦女子は、やはり少なからずトイレの音に敏感な大人になる。音消しの習慣が始まったのがいつなのかわからない。きっと戦後高度成長期の後ではないかと思う。少なくとも、あたしが多感な中高性だった頃には、既に音消しの習慣は始まっていた。(←いつの話だよとかいう突っ込み禁止!)
あたし的羞恥心バロメーターは、ニーハオトイレの小便の音には反応しない。でも、大便となると大きく針が触れる。自分がどんな音を奏でているのかと思うと恥ずかしい。それを人様に聴いていただくだなんてとんでもない。同時に、人様が奏でる音を聴かされるのも恥ずかしいので耳をふさぎたい。
それに引き換え、ニジェールの荒野で集団シッコをする場合、問題となってくるのは視覚的な羞恥心である。単なる野ションならば自然の中で一人になれる場所を探せばよい。知り合いと顔をつき合わせて野ションすることもあるが、これは気心が知れていることが前提であり、集団シッコとはまったく性質を異にする行為である。
でも、あたしが見たところ、ニジェールの人達は、集団シッコに羞恥心を感じているようには思えない。それはもちろん、慣れと言うものもあるだろう。でも、あたしが観察したところによると、技術面によるところも大きいと思う。技術面という表現をわかりやすい言葉で置き換えるならば、ずばり排泄の仕方である。
ニジェールの人達は、小便を垂れる時も大便を生み出す時でも、スカートをまくし立てるような事はしない。うまくスカートで隠しているので、はたから見てまったくおケツが見えないのである。
あたしなんかみたいな修行の足りない人間は、衣服を汚してしまうのではないかという恐怖心から、おちおちスカートをおケツに被せたまま用を足すことなどできない。でも彼らは小さい頃から修行を積んでいる。この熟練の技術を習得していれば、視覚的羞恥心も容易に乗り越えられるのである。
小さい時、弟が羨ましかった。女の子はおしっこする時しゃがまないといけないのに、男の子はどうして立ったままできるの? ずる〜い。超便利。むちゃくちゃ羨ましい。あたしも立ちションしたい。そんな風に思っていた。
一方弟は弟で、姉貴のことを羨ましいと思っていた。男の子はズボンとシャツと上下二つも服を着なくちゃいけないのに、お姉ちゃんはずる〜い。ワンピースをさらっと一枚着ればいいだけなんて、超便利。僕もワンピースを着る!
そう言ってワンピースを着て外に出た弟は、近所のお兄ちゃんたちに馬鹿にされ、泣く泣く家に帰ってきた。そしてその後彼は二度とワンピースを着なくなった。
これは幼少時代のKMAR一家のエピソードである。しかしながら、こういうのが、ごく一般的日本人が培ってきたセクシャリティーではないだろうか。こうやってあたし達日本人は大人になっていくのである。
でも、親から巣立って自由に旅をするようになって、そんな考えが世界共通の普遍的事実ではないことを知った。女が立ちションをする文化圏もあれば、男なのにスカート状の民族衣装やワンピース状のチュニックを身につけ、しゃがんで用を足す文化圏もある。
ニジェールの男がやはりそうだった。チュニック状の民族衣装を着て、しゃがんで用を足す。だから、あたしが目の当たりにしたニジェールの集団シッコは、老若男女、誰もがしゃがんでいた。その光景は壮観。あたしは、あっけにとられて、そして仕舞いには何だか嬉しくなった。
年をとるにつれ、人は凝り固まっていく。もちろん、いい意味では自己が確立していくということかもしれないけれど、悪い意味では柔軟性を失っていく。
しかしながら、こういう事実を目の当たりにすると、やはり世界は広い、世界には色々な人がいて、色々な文化があり、それに比べて日本もあたしもどんだけちっぽけなのかってことを再認識する。
今まで培ってきた価値観の崩壊。そして、自分の中に新しい風が吹く。人生にはそんな刺激が必要だ。あたしはいつもそんな刺激を求めて旅している。脳にガガンと刺激が欲しい。身震いするような感動を覚えたい。だからいつまで経っても旅することを止められない。いつもいつも旅のことばかり考えている。
旅の目的は、人それぞれ千差万別。あたしは、食文化を通して異国をに触れるのが好き。人々とコミュニケーションをとり、様々な生活様式や文化を垣間見るのが好き。写真を撮るのも楽しいし、その土地の歴史を学んでみるのも刺激的。何をしていてもかまわない。でも、その過程で、自分の中に新しい風が吹くのが一番好き。
ボロロの美男子に会いに行くぞツアー。バスに揺られることたかが30分。美男子に会わないうちから満足してどうするって感じだけれど、なんだかとっても満たされた気分。びゅ〜っと風が吹いたからね。何だか笑っちゃう!
続く。
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